「2型糖尿病の宣告」42歳で人生が変わった私が今伝えたいこと

2026年5月31日
「2型糖尿病の宣告」42歳で人生が変わった私が今伝えたいこと

病名を聞いたとき、胸の中で小さな爆発が起きた。静かに燃える恐れと、どこかで「やっぱり」とささやく直感。医師の「コントロールできますよ」という言葉に、私は「本当に?」と問い返す自分の弱さを見た。けれど帰り道、心のどこかが決意に切り替わっていた。「いまを変えれば、未来は変わる」と。

最初の3か月で見えたこと

最初の数週間、私は数字に怯え、毎朝の測定を裁判のように感じた。けれど気づいたのは、「数字は結果であって、人格の評価じゃない」という当たり前。食品表示を読み、砂糖の別名を覚え、夜の炭水化物を控えると、朝の体が軽くなった。「昨日の私」が、明日の私の身体を作る。そんな連続の感覚が、やがて小さな自信になった。

食べることとの和解

私は食事を「」から「対話の相手」へと位置づけ直した。早食いをやめ、最初の一口を深呼吸のように味わう。白い主食を少し茶色へ、揚げ物を少し蒸しへ、甘さを少し酸味へ。「制限」ではなく「選択」に言い換えるだけで、心が自由になった。

  • まずはたんぱく質食物繊維を先に食べる
  • 皿の半分を野菜で満たし、主食はひとつ分に
  • 1日1回は「ゆっくり食べる食卓」をつくる

ある日、私は自分にこう言った。「『食べられない』じゃない。『いまはこれを選ぶ』だ」と。すると不思議と満足感が続き、夜の渇望が弱まった。

動くことの再定義

「運動」は気合では続かない。私が頼ったのは、3分の小刻みな動きだ。食後に家の中を歩く、電話は立って受ける、階段を一段速く。重要なのは「ゼロを避ける」こと。汗だくの完璧より、息が少し上がる現実を毎日重ねる。やがて脚のだるさが減り、睡眠のが上がった。

数字との付き合い方

A1Cは地図、朝の空腹時は天気、食後2時間は現在地。どれも違う物語を語るが、敵ではない。私は「一喜一憂を10分まで」と決め、値が高い日は原因を仮説にして、翌日ひとつ実験する。センサーの矢印は「禁止」ではなく「提案」。行き先を変える機会だと思えば、数字は味方になる。

心と周囲の整え方

「病気を理由にしたくない」という意地が、むしろ体を追い詰めた。私は職場に「配慮より事実共有を」と伝え、家族には「助けてほしい瞬間」を具体的に渡した。ある日、母が言った。「あんたは怠け者じゃない、やり方を学び直してるだけ」。その言葉に、胸の重りが外れた。恥は沈黙で育ち、理解は対話で育つ。

挫折との付き合い方

夜にお菓子へが伸びる日もある。そんな時は「後悔のマラソン」をやめて、次の食事を整える。私は鏡の前でこうつぶやく。「『今日の1%』でいい」。小さな勝利は、次の意欲を呼ぶ。失敗を「事実」に、学びを「資産」に変える。それがこの病との長距離走だ。

医師と自分の役割分担

医師は航路を示し、舵を切るのは自分。質問をメモし、検査前に仮説を立て、受診後に一行の計画を残す。「次回までに一つだけ変える」——それが私のルールだ。薬はではなく、体が学ぶための足場。足場を使いながら、筋肉と習慣で橋を架ける。

これからの私が伝えたいこと

人生は「」と「」に割れたけれど、価値は減らない。むしろ毎日の選択が、静かな誇りを育てていく。「いまが分岐点だ」と思えた朝から、私の時間は味方になった。どうか覚えていてほしい。「あなたは弱さではなく、変化の証拠を生きている」と。明日の自分に優しく、今日の一歩に厳密であれ。その積み重ねが、血糖計より深いところで、あなたの生き方を変えていく。

山本 翔太
山本 翔太
フィットネスと格闘技を愛するスポーツライター。大学でスポーツ科学を専攻し、国内外のアスリート取材を通じて「挑戦する心」をテーマに記事を執筆。APFでは、トレーニングとメンタルの両面からパフォーマンスを掘り下げています。

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